ニラベルトの生活史

生活のアーカイブ

「トゥルーマン・ショー」を観た

普通に育ち、普通に働き、普通に結婚し、普通に暮らした30年間の主人公の人生はずっと全世界に生放送されていた。それは超人気番組で…。

 

面白かった。ブラックユーモアなヒューマン映画。終わりはハッピーになるのかバッドになるのかドキドキしながら観た。こういうの、バッドエンドになる可能性があるから。

 

主人公は少しずつ作られた世界の違和感に気づいていく。きっかけは主人公が乗っていたラジオに番組側の出演者への指示が混線してしまったとき。そのあと死んだはずの父とすれ違ったときに疑念は深まる。さらに過去には明らかに不自然な別れをした恋人がいたことを思い出す。その女性は主人公とのメロドラマを演出するために出演したのだが、やがて主人公に同情してしまい、主人公とこっそり浜辺へ逃げ出し世界の真実を告げたが番組側の死角が登場し強制退場。この巨大なセットを世界を真実と信じてきた主人公はなにがなんだか。そこから日常に違和感を感じていく。同じ位置を通る人や車がいることや、過去の写真が合成っぽかったり…。

 

主人公は、その恋した相手が忘れられず外国にいるとされる島国へ旅にでようとするも、番組側的には不都合だから次々と阻止される。主人公がテレビを見ていたら「地元を愛そう。そしたら幸せになるよ」っていう内容の番組が始まったり、旅行会社にいったら飛行機が雷に打たれて「これはあなたに起こり得る」と書いてあるポスターがあったり、予約が一ヶ月待ちだったり。

車で街を脱出しようとするも、突然住宅街から車が数台に出ていて渋滞が発生したり、まちをなんと出たものの道路には炎の壁が発生。抜けたら原子力発電所から放射能が発生し通行止め。

主人公は不憫だかこのだんだんと大胆になる番組側の妨害がおかしくて笑ってしまう。視聴者はどっかの世界で暮らしている1人の男のリアルな人生を楽しんでいると最初思っていたが、セットの中でリアルを信じる主人公、さらに番組がどのように軌道を修正していくかを込みで楽しんでいる人がいるのかなぁと。ちょっと怖い。

そこで誰かのテラスハウス批評を思い出した。「自分の欲望をコントロールできると考えている入居者の、そのコントロールが崩れる瞬間をひたすら待っているパネラーと私たち視聴者。そんな悪魔のコンテンツ」

 

主人公、これは気が狂うよなぁ。しかし恋人のために偽物の世界を抜け出そうと悪戦苦闘する。そんな彼をテレビの視聴者の共感を得ていく。

 

ラストシーン良かった。偽物の壁に到達した主人公。扉を開ければ外の世界へ。そこへ番組プロデューサーが天の声で「この世界は偽物。でも私はあなたの生活を幸せにする用意がある。だから戻りなさい。」という言葉に、主人公の番組内での定番の掴みあいさつを大袈裟に放ち、ショーが終わったかのようにお辞儀をし、扉の外へ出て行く。今までコントロールされていたが、逆に番組側をコントロールするかのごとくあえて演じて自由になった主人公。(自由になったはず…)世界中の視聴者は感動に包まれる。プロデューサーは落胆?それともこれも演出的には良いと思ってる?

 

観賞後は清々しい気持ちに。でもそれで終わって良いのか、少し不安が残る。

 

追記

最後の警備員の「ほかに番組はやってないか」30年人生を偽物で過ごした人間よりもコンテンツの消費。怖いな。