「デジモンハリケーン上陸!」を観た
超絶進化!!奇跡のデシメンタル
子どもの頃、この映画がすごく好きだった。2、3回しか見たことないけど「いい映画だったなぁ」とフワァッ記憶がたまに蘇っていて、ついに昨日アマプラで十数年ぶりに見返した。
いやー、あれ?
なんというか…面白くなかった。
あれ?なんで?
音楽いいなー、絵の雰囲気もいいなー。
これこれ、夏の乾いたこのアメリカの感じと青春ロードムービーが良いのよ。
でもあれ?面白くない。
雰囲気だけだ…。中身がありそうで、ない。
私の考察力がないだけ?
「僕らのウォーゲーム」はあんなに単純で面白かったのに、なんでだ。
アメリカに住む少年ウォレスが幼い頃、双子のデジモンと暮らしていたら、ある花畑でその片割れチョコモンが突如行方不明に。数年後、チョコモンがいなくなった場所「サマーメモリー」を目指しそのまた双子の片割れグミモン(姿はテリアモン)と一緒に旅に出る。
内容をざっくり結末まで話すと、チョコモンは過去に執着する化け物になり主人公とウォレスたちを襲う。ウォレスは旅の途中で大輔たちと出会い、チョコモンを殺さなきゃいけないウォレスのことを知って共感した大輔と意気投合し、最後、世界を絶望に落とそうとするチョコモン最終形態を奇跡で倒す。
まずなんでチョコモンは闇落ちしたのだ。
チョコモンは過去に縛られるウォレスの投影。チョコモンを倒すことによって過去の悲しみから前へ進む成長を描く。なんとなくわかる。でもなんで突如行方不明になったのだろう。そのチョコモンはなんで楽しかった時のウォレスを探して、いろんな人を巻き込むくらいに闇落ちしたのだろう。
「突然の死」「不慮の事故」。デジモンにとっての行方不明は「死」なのではないだろうか。それを受け入れられずウォレスとチョコモンは過去に縛られていた。グミモンは本能的にそれを知っていたからウォレスをなだめる立ち位置にいた。この物語は「もう死んだ」チョコモンを倒して、「死」を乗り越える成長の旅だったのかもしれない。「チョコモン」の最期の笑顔はウォレスの成長への祈りと死の受容だ。
それにしても大輔たちの物語の中での役割とは。うーむ、いらないようは気がする。相変わらずアルマジモン、ホークモンはパートナーの共々空気だし…。
もっと早めにライドラモンになってたらサマーメモリーに早くたどり着いていたのでは!?と思ってしまう大人、悲しい。
戦闘は物語のスローさに引きずられてかヌルヌル。カタルシスなし。バトルが熱かったら、そのギャップで良い違和感があったかもしれない。しかし何を考えているかわからない最終形態一個前が昔も怖かったな…。
セリフなどシーンが説明しすぎない感じが音楽と相まって余白作り的には良さそうなんだけど、逆にそれを狙っている感じがする。
雰囲気、すごく良いんだけどなぁ。
この映画のハイライト
ウォレスの発音「チャォコモァン」「デジメントゥァル アゥップ」