ニラベルトの生活史

生活のアーカイブ

「デジモンハリケーン上陸!」を観た

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映画デジモンアドベンチャー02

デジモンハリケーン上陸!!

超絶進化!!奇跡のデシメンタル

 

子どもの頃、この映画がすごく好きだった。2、3回しか見たことないけど「いい映画だったなぁ」とフワァッ記憶がたまに蘇っていて、ついに昨日アマプラで十数年ぶりに見返した。

 

いやー、あれ?

なんというか…面白くなかった。

あれ?なんで?

音楽いいなー、絵の雰囲気もいいなー。

これこれ、夏の乾いたこのアメリカの感じと青春ロードムービーが良いのよ。

でもあれ?面白くない。

雰囲気だけだ…。中身がありそうで、ない。

私の考察力がないだけ?

「僕らのウォーゲーム」はあんなに単純で面白かったのに、なんでだ。

 

アメリカに住む少年ウォレスが幼い頃、双子のデジモンと暮らしていたら、ある花畑でその片割れチョコモンが突如行方不明に。数年後、チョコモンがいなくなった場所「サマーメモリー」を目指しそのまた双子の片割れグミモン(姿はテリアモン)と一緒に旅に出る。

内容をざっくり結末まで話すと、チョコモンは過去に執着する化け物になり主人公とウォレスたちを襲う。ウォレスは旅の途中で大輔たちと出会い、チョコモンを殺さなきゃいけないウォレスのことを知って共感した大輔と意気投合し、最後、世界を絶望に落とそうとするチョコモン最終形態を奇跡で倒す。

 

まずなんでチョコモンは闇落ちしたのだ。

チョコモンは過去に縛られるウォレスの投影。チョコモンを倒すことによって過去の悲しみから前へ進む成長を描く。なんとなくわかる。でもなんで突如行方不明になったのだろう。そのチョコモンはなんで楽しかった時のウォレスを探して、いろんな人を巻き込むくらいに闇落ちしたのだろう。

「突然の死」「不慮の事故」。デジモンにとっての行方不明は「死」なのではないだろうか。それを受け入れられずウォレスとチョコモンは過去に縛られていた。グミモンは本能的にそれを知っていたからウォレスをなだめる立ち位置にいた。この物語は「もう死んだ」チョコモンを倒して、「死」を乗り越える成長の旅だったのかもしれない。「チョコモン」の最期の笑顔はウォレスの成長への祈りと死の受容だ。

 

それにしても大輔たちの物語の中での役割とは。うーむ、いらないようは気がする。相変わらずアルマジモン、ホークモンはパートナーの共々空気だし…。

もっと早めにライドラモンになってたらサマーメモリーに早くたどり着いていたのでは!?と思ってしまう大人、悲しい。

 

戦闘は物語のスローさに引きずられてかヌルヌル。カタルシスなし。バトルが熱かったら、そのギャップで良い違和感があったかもしれない。しかし何を考えているかわからない最終形態一個前が昔も怖かったな…。

 

セリフなどシーンが説明しすぎない感じが音楽と相まって余白作り的には良さそうなんだけど、逆にそれを狙っている感じがする。

 

雰囲気、すごく良いんだけどなぁ。

 

この映画のハイライト

ウォレスの発音「チャォコモァン」「デジメントゥァル アゥップ」

村上春樹「羊をめぐる冒険」を読んだ

読むのに2週間かかった。

ストーリーとしては緩急がなくぼんやりしているし、女とセックスばかりしているし、なんかキザだし「きついわ…」と思いながら読んでいたけど、徐々に世界観にハマっていった。

まずはハードボイルドな世界観と青春。タバコとビールとブランデーとコーヒーと小説が良く出てくるんだけど、70年代の煙臭い退廃的な世界観が個人的に好き。あとは会話のテンポと説明しすぎないのも印象的。「そうだね」「かもしれない」「そうともいうし、そうじゃないともいえる」などとなんか核心に触れない会話。もっと突っ込んで聞けよ!驚けよ!この状況は何なのか教えてくれよ!ってなってたけど、徐々にその空気感にも慣れていった。余白を読みながら読むのが楽しくなっていった。

物語が進むにつれ徐々に主人公は孤独になっていく。何もかもを失っていく。最初は妻、そして仕事、友人、住まい、耳が美しい彼女、そして生きる意味。北海道の奥地の友人の別荘で、徐々に世界から切り離されていく。そんな中、自分らしさすら意味をなさなくなっていく。鏡をみても、本当の実態は鏡の中で、その実態に操られているのではないかと。そんな中、死んだ友人のネズミがある答えを突きつける。「俺は俺の弱さが好きなんだよ。」 

 

いやーなんか面白かった。村上春樹作品ハマりそう。最近は漫画で「約束のネバーランド」を読んだけど、いや比べるものではないけど、説明されすぎないっていうのは脳に良い刺激になるなぁと思った。余白は世界観に広がりを与えるのだなと。

「死にがいを求めて生きているの」を読んだ

朝井リョウ

対立と螺旋の話。

「何者」以来の朝井リョウ

雄介と智也、2人の対立をめぐる物語。2人が少年から青年になるまで、看護師、転校生、女子、大学生、中年ディレクターの視点から2人の物語を紡いでいく。植物状態で眠る智也と献身的に見守る美しい友情から始まる物語と見せかけて、過去に遡り今に戻るにつれて歪な関係が現れてくる。

 

なぜ人間は対立するのか。対立をしていないと自分の価値を見出せないのか。平成になるにつれ子供達のまわりから様々な争いが消えていった。成績の順位、体育祭の勝敗、組体操や棒倒し…。だから誰とも比べなくていい、対立しなくていい世界が訪れると思っていた。ここからは原文「だけど人間はら自分の物差しだけで自分自身を確認できるほど強くない。(中略)これまで見知らぬ誰かが行ってくれた順位付けを、自分自身で行うことでもある。見知らぬ誰かに「お前は劣っている」と決め付けられる苦痛の代わりに、自ら自分自身に「あの人より劣っている」と言い聞かせる悲しみが続くという意味でもある。 」 自分の価値を自分で見つけなければ、身につけなければいけない時代に突入したのだ。そのために雄介は巨大な何かを敵と想定して、立ち向かう自分に価値を付加させようともがいていく。そんな雄介の暴走を止めようとする智也だったが、実は自分自身も雄介を「対立する相手」として生きがいを見出していたのではないかと葛藤する。「なんでこの2人は仲がいいのだろう?」と作中ではそれぞれの章の主人公から疑問があるのだが、それはお互いがお互いを「生きがい」として必要としていたのかもしれない。

 

人物

 

白井由里子。

看護師で日々スケジュール通りに流されて過ごしている。ちょっと一生懸命になったら崩れそうだと。そんな空洞みたいな生活に絶対値を求めている。似てる。なんか不感症になっていくというか。自分の周りを塗り固めて、周りに干渉するのが疲れていくというか。そんな歯車を壊したくて、親友と離れ離れとなってしまう弟を、親友に献身的な雄介に会わせる。ストーリーはスローに始まる。その表面からはわからない闇に入り込んでいく。

 

前田一洋

雄介と智也が通う北海道の小学校に転校した子。普通の小学生男子。まずこの人の転校生としての気持ちが自分のと重なる。笑い合ってやっと転校した実感が湧く。時間と実感のギャップ。そんな彼の視点から智也と雄介の関係が描かれていく。それと同時に徐々に雄介の不穏さ、違和感を感じていく。私は小学生の雄介へ不快感を抱いていた。何のためにそんな熱くなっているんだろう、アニメのキャラの真似をしてイキッてる、お父さん自慢だろそれ…などつかみどころのない負の感情がザワッと湧いてくる。「足をかけたのお前だろ!紅組だから!」みたいなシーン、怖かった。この時から見えない敵を自分で作り出していたのか。

 

坂本亜矢奈

智也と同じ中学水泳部女子。

そういえば雄介とその彼女はどうなったのだろう。こういうお互いを罵り合ってたけど、めちゃくちゃ親密になるカップルいたなぁと。

「それ、多分、恋じゃない」発言で盛大な勘違いをしたんだけど、智也ゲイ説という予想。実は雄介のことが好きで…まんまとやられた。よく読んだら全然筋に合ってない恥ずかしい。

職業体験のところは雄介の絶妙な羞恥心を食らった。何かと大義を求めている雄介。もし雄介のお父さんがかっこいい役職だったら自分も特別になれるのに、という気持ちが透けて見えてちょっと不快な気持ちになる。

 

安藤与志樹

大学生。レイブで大学生活を謳歌。そのうち他の大学生の大義ある活動に劣等感を覚えて活動は萎縮していく。

この話もきつかった。意識高いしボランティア活動に熱心なのはとても良いと思うんだけど、自分よりも質の低いと判断した人をいないところで悪口を言うシーンがキツかった。自分と比べて他者を貶めてはだめだろうと。結局は自分の「生きがい」のためにやっている。そうでもしないと死んでしまうかのよう。自分がやらなきゃと他人に干渉し過ぎてしまう。ホームレス支援団体の代表大学生が頑張り過ぎて「あるホームレスがかわいそうだから元々住んでいた家族を探す」までやったのが印象的。「生きがい」を求め過ぎて他者のエリアに踏み込むことがどんなに危険なのか。そして雄介はさらに不穏な行動へ。ジンパ(ジンギスカンパーティー)復活の署名活動をしていたが、他の人の合理的方法で横取りされてしまった雄介。次は寮の学生自治問題へ。祭りの時に旗を振り回す雄介。だんだん何を考えているかわからなくなってくる。

 

弓削晃久

制作会社の中年テレビディレクター。優秀な後輩への嫉妬、離婚、テレビ局員からのパワハラ、過去の栄光にすがるなどなかなかしんどいキャラクター。そんな彼は、雄介の暴走を止めようとする智也と出会い、利害が一致し共に行動していく。物語の真実に近づき、さらに最初の話へと展開は加速していく。このあたりから今までの話と繋がってきて面白くなって一気に読めた。自称長老が、智也に騙されるシーンはなんか間抜けだった。弓削が隠しカメラを持って部屋に入ろうとするも私物は没収と言い渡す長老に対し、起点を聞かせて智也が「弓削は血友病で決まった時間に駐車しないといけない。十分くれ。部屋で準備する。」と。これってその場で確認でよくない?そもそも犯罪めいていることしてるのに、ボイスレコーダーやビデオなんて真っ先にリスクとして上がるはず。なのにセキュリティー甘々。まぁ長老が元々ボンボンの息子で、社会に溶け込めずこういうことをしていると考えればおかしくはないか…。

それよりも、長老に騙されて入居していたと思われた雄介は、わかっててこの部屋に来たのだった。「まさか自称長老を懲らしめようと?」

と思う束の間、理由は思ったよりも狂気を孕んでいた。「自分がヤバい思想に騙されてお金も取られたけど、そこから立ち上がった」という肩書きが欲しかったから。智也が予想した「山族、海族の戦いを終わらすため」ではなかった。「台無しだよ。」「智也は院生だからいいよな」「神輿は男がかつがなきゃいけない。女はそれをやるとすげぇってなるから楽」と雄介。

弓削に間違って届いた後輩からの動画とシーンがマッチしてして凄かった。動画には、かつて弓削がドキュメンタリーとして撮った「無人島で新たな悟りを開いた」仙人みたいな人の後日談だった。その仙人の娘が「父は手段と目的が逆だったんです。人とは違う、というのを手に入れるために無人島に住み始めたんです。」と見事に雄介とリンクしている。さらに何かを手に入れたい弓削ともリンクする。ここ本当に凄かった。

そして新しい敵を見つけた雄介。それは智也だった。

そして物語は病室に戻る。

 

南水智也

聞こえてたんだ。意識障害でも聴覚だけが残る。そこに白井、前田、亜矢奈が絡んでいく。植物状態の人を主観に持ってくるのすごいな…。父との確執、雄介の目的、智也の目的…この最終章で物語は真っ裸となる。

「対立」は螺旋のようにグルグル回っている。また「生きがいを求める」こともグルグル回っている。それは無限に中心へと続くのか。それとも繰り返すことで果てしなくも渦の外に向かっているのか。

智也の葛藤がリアル。人は「対立」を求めている。「対立」は向上するために必要で、他者に向けてはいけない。雄介は「生きがい」のため「対立」を捏造する。そんな雄介を止めたい。さらには父の「海族と山族は対立する運命」というのを否定したい。繋がることはできると証明したい。「生きがい」なんて持たなくていい、生きているだけでいいと説きたい。しかし、自分が「雄介」を生きがいにしている。雄介に嫌悪感を抱いたのは、自分と重なってみえたからなのか。

平成の時代は良かったのか。社会から対立が隠されてからは相対評価から絶対評価となった。他人からの明確な攻撃ではなく、自分で決めた劣等感の攻撃を受けやすくなった。つまり誰も何も言ってないのに「聞こえる」気がする。対立をなくそうとすると必ず対立する。劣等感を払拭するために誰かと対立しようとする。

不自由な時代から自由な時代へ。しかし従っていれば良かった時代から、自己責任の時代へ。

自由な時代。共通価値は消えて、それぞれ多種多様の価値が生まれた。

何もない自分への恐怖。

そんな時代の歪みから生まれたのが雄介だった。

智也という新たな生きがいを作った雄介。

分かり合えないけど、それでも一緒に生きていかなければならないと、時代をもがき進もうとする智也。

またこの2人は邂逅するのだろうか。 

 

「デジモンアドベンチャー Last Evorution 絆」を観た

いやーもう最高でした。

予想以上に完成度が高かったし、初代愛が溢れていた。

少年少女、は映画館にさっぱりいなくて当時の少年少女ばっかり。

もう二十周年なんだね…。

とにかく当時デジモン初代を観てた人たちにとってはサービス満点の映画でした。

 

ボレロで始まった!やっぱデジモンといえばこれ。この曲を使うセンスが凄まじい…。

 

・中野でパロットモンが暴れる!中野っていうのがいい。昔は光が丘でしたっけ。アグモン進化あつい…曲のアレンジがあるけど、ほぼ昔と同じ演出なのがいい。

 

・こうしろうが社長。他のみんなもそれぞれの夢に進んでいる。そんな中太一とタケルが将来の進路に悩んでいる。普通の大学生だ…大きくなったな…。阿佐ヶ谷のホルモン屋でビールを飲み交わす2人がなんとも言えず良い。こっちは太一たちの年齢を超えてしまったんだね。

 

バイリンガル美女キャラ登場。日本語喋ってて急にネイティブになるの笑ってしまう。こうしろうに「やっぱりあなたGenius boyね」。

 

・ミスリード准教授補佐。やはりこうなるか。

 

・最初の戦いでエオスモンを逃すの、まんまウォーゲームだ…。パイプ状のネットの通路の上部にモニターが連続で設置されてて、移動しながら現実世界との連絡をするこの表現、すごいセンスだよな。

 

・空は元々戦いを嫌う設定だったっけ。ピヨモンって最初いた?いつのまにか居なくなってた。デジヴァイスも石になって。大人になることを誰よりも早く受け入れたから?ピヨモンとの別れを誰よりも早く受け入れたから?

 

・思い出に留まれば安心の世界。それでも太一とヤマトはなにが起きるかわからない、なにも決まってない未来を選ぶ。どうしようもないことを受け入れて進むしかない。しかし別れの辛さから、エゴだけど救おうとした敵を一方的には責められない。

 

・ホイッスルすごかった。20年前とここで繋がるなんて。

 

アグモンとガブモンの最終進化はちょいダサ。中の人いらん。やっぱオメガモン系でしょう…。

 

・太一とお台場。ヤマトとハーモニカ。別れのシーンがたまらない。アグモンから見た太一の背中。鑑賞者はみんな同じ視界だったのかもしれない。

 

また見たい。

あの頃に戻れた。

「ベイビードライバー」を観た

幼い頃に交通事故に遭い、両親を失い聴覚障害を患った青年主人公。常にイヤホンをつけて音楽を聴いていれば耳鳴りは聞こえない。そんな主人公は借金を返済し裏社会から足を洗おうと、天才的なドライブテクニックで犯罪者の「逃し屋」の仕事をこなす中、ある女性と運命的な出会いをする。裏社会からの逃避行を試みるが…。

 

最高でした。音楽、映像のかっこ良さ、ストーリーの展開、テンポ…レベル高すぎる。中盤から平和だなぁ…からの怒涛の展開。手の平ビシャビシャでした。そうだよね、借金返済して彼女のために地道にピザ屋でバイト…なんて話で終わるわけないよね。

 

主人公は彼女と出会ってから、会うたび家でおじさんに踊って嬉しそうにそのことを伝えるは可愛い。おじさんも嬉しそうで可愛い。なんだこの2人、可愛い。

 

幸せ絶頂のレストランデートで男がお会計をしようとしたとき、「お会計はもう終わってますが…」の恐怖。ベタだけどヤクザからのこっそり奢りは震えました。あと小さい白スーツカラーグラスちょび髭ボスおじさんも怖い。

 

赤ジャケ黒人。いやーかなり苦手だ。めちゃくちゃ武闘派で頭がキレるんだろうけど、俺同じ職場だったらいじめられる可能性高い。相手が嫌がることをわかってるし自己中心的すぎる。まぁヤク中に何を真面目に言ってるんだって話だが。ダイナーでのイチャイチャチンピラカップルとの喧嘩、一方的すぎて見てられなかった。

 

まさかのイチャチンピラ男がラスボスになるとは。好きな展開。死の淵から蘇り、殺意剥き出しで車に乗って再登場するシーン。

この男の人物像に興味がある。職場のミーティング中でも彼女とイチャコラチュッチュするチンピラは最初、無口でずっと音楽を聴いている主人公に対し良くはない印象を抱いていたはず。中盤では主人公に「俺もクイーン聴いてたよ!」と一つのイヤホンで音楽を聴くまでには歩み寄っていた。さらに主人公が夜に組織から車で抜け出そうとしたのがバレた時には「そうか嫌になったらやめればいい。逃げるんだ。」と言っていたような。赤ジャケ黒人に会話の録音がばれた途端(悪意はなく目的は趣味のサンプリングミュージック作成だったけど)、「お前裏切ったな」と掌返して主人公を責め立てる。赤ジャケ黒人に捲し立てられた時には言い返せずに彼女が代わりに反撃する始末。さらに彼女が死んだのは主人公のせいだと逆恨み。そこから考えられる人物像は直情的で即物的。確固たる自分を持てずに他者に依存していて受動的。いつ暴走するかわからない危うい要素を孕んでいた人物だった。あまり見たことない悪役。

主人公、チンピラとお互いが後半は「確固たる意志」を持つ。前半は「守るため」 、後者は「復讐するため」。

 

ボスが最後、自分の身を呈してまで主人公を助けた理由がわからなかった。死ぬのは確実と腹を括っていたのもあるが、義理+主人公の覚悟に心を動かされたのか。でもこういう展開は好きだ。ショットガンの使い方もいい。

 

場面的に気持ちよくないから曲の最初にいちいち戻すの、めちゃくちゃわかって笑った。

 

ダイナーってなんかいいよね。

 

カーアクションものほぼ見ないけど面白いのな。マジでCGじゃないのこれ…地下駐車場でのカーチェイスはどうやってるの。

 

ラストシーンは綺麗だった。主人公が優しくて良かった。

「ジョジョ・ラビット」を観た

あらすじは…前半寝てしまった。

ゆえに後半あまり集中できなかった。

カレーをお腹いっぱいに食べてからの映画は良くないらしい。

悔しいのでもう一回観る。

印象的だったのはお母さん。どんな厳しい状況でも希望を持てたのは、いつも変わらずに踊るように生きていた母がいたから。程よい距離感で大切なことをいつも教えてくれる。そんな母をもつ主人公が、最後は他人のために靴紐を結ぶようになり、自ら歩んで踊っていく。彼女に嘘をついてでも、幻想を振り切り、彼女と現実で踊って生きていくことを決めたのだ。