ニラベルトの生活史

生活のアーカイブ

『本当の「頭のよさ」ってなんだろう』を読んだ

 

f:id:shotagazer:20200213171504j:image

斎藤孝

 

面白かった。小学生、中学生を対象に「頭のよさ」について8つの切り口から見ていく本。

大人の私が読んでも「これは大事だな」と思うところがたくさん。文字が大きく200ページ強なので一気に読めました。

気になるところとしては、内容はポジティブめ。人生において逃げ道は必要だと論じつつ、「コミュニケーション能力は必要。ないと社会では行きづらい」 「大学には行くべき」「生を授かったなら自ら死を選んではダメ。懸命に生きるべき。」と強めのメッセージがちらほら。これ、精神的に弱っている人にとってはさらに追い討ちをかけることにならないかなと思った。私はダメージを受けた。それでも「頭よく生きることは、人生を豊かにする。幸せにする」と本著で論じてあるように、深く真剣に生きていくことに一歩踏み出す価値はあるのかもしれない。それには勇気が必要だろう。

 

箇条書きで印象に残った文+備忘録

・昔、南アフリカの狩猟時代は「自己価値」について意識することはなかったという。人それぞれの役割があって、みんな平等に狩猟のリターンが与得えられていたから。今はそれぞれの能力を比べる時代。だから「自己価値」を意識せざる終えなくなって、自己肯定しづらいと「うつ」を発症する。つまり昔は生きているだけで良かった。さらに「うつ」は現代病なのだ。本来は生きているだけで大丈夫。しかし無意識に「自己価値」を感じ辛い社会になっている。勉強をし、教養を身につけることができたら人生は豊かになるのでは。

 

・「没頭する」ということ。小さい頃は何事にも没頭できていた。脳の発達的に学習能力が高いのと、知らないことを知る喜びに脳が刺激を受けていたからだ。しかし大人になるにつれて

「没頭する」ことがいつの間にかなくなっていく人がいる。私も含めて。それは何かを取り組むにあたって成功体験がないことが原因だという。何かに取り組んで「わかった!」「繋がった!」 と成功体験を得られれば、脳刺激を受け新しいシナプスを形成し、また新しい知的好奇心が生まれる。成功の回路が出来上がる。その体験を得るためには「潜っていく情熱」が必要だ。成功体験を得られるまで地道に続けていく。そしたら点と点が線になり、ゆくゆくは網目上になりシナプス様のネットワークとなる。おそらく人生は豊かになる。「没頭する」快感を知ることができる。人間本来持っている知的好奇心が満たされるから。著者は「没頭する能力は眠っているだけ。誰でも持っている。」という。私は「自分にはそんな能力はない」「時間がない」など思ってきたけど、きっと言い訳に過ぎなくて「続ける勇気」がないだけだ。何かを続けたことはほぼ1度もないから、やってみる価値はある。「人生を豊かにしたい」という欲望があるならやってみるしかない。

何が言いたいかというと、「何かに没頭することを思い出して味わいたい」「人生を豊かにしたい」ということ。

 

・読書について

いろんな人の読書論が私は好きだ。読書欲を掻き立てられる。ここでは「読書は著者との対話」「読むだけではなくて、なんでこの人物はこういうことを考えているのか。じぶんだったらどうするか、と考える。」「本があれば孤独ではない」「似たような考え方の著者だったら、ほかの本も読んでみる。合わなかったら飛ばしても、やめてもよし。」「読書することで語彙力と文章読解力が向上する」「速読を意識することで頭の回転が速くなる。慣れてくると読むスピードがあがる。」「読書を体験にしていく」「読書をおもしろくさせるには、世界にグッと入り込む。」

 

・「人生を豊かにすること」 をロールプレイングゲームみたいにとらえたら面白いのではないか。

 

・「好きなこと」は広がっていく。その学習がやがて教養となる。色んな視点を持つことによって客観性を得ることができる。

 

・他人の好きを否定しない。知ろうとすることが重要。

 

・社会を生きていく上で人とのコミュニケーションは避けられない。わかる。私的にはかなり辛辣だけどわかる。本当にコミュニケーションができないと生きづらい。払拭するには諦めるか、そのタスクに立ち向かわないといけない。人間関係にこそストレスと喜びがある。「雑談力」 が必要だ。ただ「相手にとって良いこと」を話す。それでまた次の関係に繋がる。あいさつだけでもいい。不機嫌を伝播させないこと。

ただ自分を攻撃する人からは距離をとってもいい。なにごとも「非常口」を用意しておくことが大事だ。好きなことを話せる、友人と呼べる人は少数でいい。

しかし本当に雑談力、マジでなんとかしたい。こんな歳になって仕事のコミュニケーションから逃げている場合ではない。そこは覚悟が必要だ。

 

個人的な話。最近、自分の人生を適当に扱い過ぎじゃないのかと。何かを待っている場合ではないんじゃないかと思いはじめていた。きっかけは我が家のYoutubeだった。岩井が「ヘラヘラしてるんじゃない。何とかしたいっていう覚悟を感じられない。」という我が家への提言にブッ刺されてしまった。ヘラヘラしている杉山、他人のせいにして問題に直視しない坪倉、何も喋らない谷田部に自分が重なった。決意したからって劇的に人生が変わるわけじゃないけど、自分の人生を生きる責任を見つめなおして、覚悟を持つことが必要だと思った。少しづつでいいから進んでいきたい。人生を豊かにしたい。

「嫌なこと、全部やめても生きられる。」を読んだ。

プロ奢ラレヤー著

これ読んだの2週間前ですね。

早くも感想アーカイブ、崩壊が近い。

面白かったのが、最後に著者らしいどんでん返しがあるところ。とても好き。逆に本の内容に説得力を帯びさせる演出。むしろそういう「ゴーストライター」的な著者は多いのかもね。

 

気になった文章をちらほら。

「悩みの原因は、できないことをどうにかする態度。あきらめるは自己の幸せを考えると最強のコマンド。」わかる。今年の目標は「諦める」にしている僕にとってとても心に刺さった。しょうがないリストを作って可視化するのもとても効率的だ。ぜひ真似しよう。ランキング作って下位の方は「チャレンジできるかも」って見やすいからね。

 

「自分の人生に攻略本はない」

自分のやりたいこととできることに集中する

 

「そもそも嫌われるのが怖いという人は自意識過剰」

 

etc

人生楽になるための視点として、かなり芯を食っているし僕にとって近くて新しい視点で、共感するところがいっぱいあった。なんといっても体験からくる説得力。

人生の生きづらさって自分で作っていることが往々にある。またそれの生きづらさは環境のせいで自分で変えることはできないと思い込んでいる。もっともっと自分の欲望に従って、もっともっと自分で選択できると考えてもいいんだなと思って楽になった。

「星の子」を読んだ

「星の子」今村夏子

主人公ちひろは出生児から病弱であり、救いたさに両親はある宗教にのめり込んで行く。中学生ちひろも宗教に対し肯定派であったが、徐々に気持ちは変化していく。

 

ちひろ目線で描かれた小説。そこから見える物事に他者の意思はないため、純粋な主人公の気持ちが見える。難しい言葉はなくてさらっと読める。その分、文章で説明されない「不穏さ」がより心に引っかかってくる。小説は書くの難しい…。

 

最後は幸せだったのか。夜空を見る両親とちひろ。みんなで流れ星が見えたら帰ろうと両親が言うも、同じタイミングで見ることができず、なかなか帰ることができない。このシーンが意外と長い。お互いに本当に見えているのか、どちらかが嘘をついているのか。たまたまなのか。家族としての絆、お互いは崩れてないと思っているけど、ズレ始めているような。全然帰してくれない両親がちょっと怖かった。娘のことを思っているけど至っていない。

 

上下ジャージで、頭に濡れタオル。かっぱのよう。こんな人たちがいたら本当に怖い。この両親、最後お金があまりなかったよね。修学旅行費も払えず、玄関は狭くなって、公園で人を勧誘している。

 

先生が怖い。自意識過剰だし否定されるとキレる。

 

友達がいいやつ。

 

なんか思い出せないな。ムズイな…。

「パラサイト 半地下の家族」を観た

貧困に苦しむ家族の長男が富裕層の家から家庭教師を頼まれ、それから貧困家族が徐々に富裕家族を寄生していく。

 

とてつもなく面白かったけど、すさまじくキツい。しばらくは観れない…どんよりして帰った。それでも2時間ちょっとがあっという間に感じ、スクリーンに釘付けだった。

 

現代社会では貧困から抜け出すには選択肢は多様にありそうでなく、諦めることすら許されない空気で、コツコツとやっていくしかないと感じた。それで観た後、どんよりしたのは人ごとではなく、エンターテインメントとして描かれているこの映画のストーリーはきっとどこかで起きているという説得力があったからだ。半地下で暮らしている人、仕事がない人、災害に見舞われてどうしようもない人、富裕層の暮らしを羨望する貧困の人、それに恩恵を受けている貧困の人、地下室で生き延びている人…。「万引き家族」にしろこのような映画が流行っているのは、なんか一種の時代の「悲鳴」のようなもので、限界がきているのかな。

 

貧困家族の印象について。貧困家族にある設定として「DV」「アルコール依存」などがあるが、そういうのはない。みんな割と仲が良くて、お金を稼ぐことには前向きで、子供たちは現状を抜け出そうと勉強したり、受験にチャレンジをしている。とても賢いんだけど、どうしても貧困を抜け出せない。ただただ暮らしが大変なのだ。

 

富裕層家族について。こっちにも別に精神的にヤバいやつがいるわけではなく、仕事ができる夫、純粋な妻、学生の娘、活発な息子。一見夫婦間の愛情も問題なし。両親はやや息子を溺愛しているか。しかし直接的な貧困層に対する差別発言もない。なのに貧困層、富裕層は出会い、大きく唸って捻れて両者に大きなダメージを残していく。

 

ネットで見たんだけど、貧困層と富裕層が何かしらのモチーフで仕切られているらしい。すごい。

 

ピザ配達でも働き手がない現状。これまじか?

 

息子に家庭教師の引き継ぎを頼んだ大学生、お前に頼めば安心っていうのも「貧乏なお前に富裕層娘は恋心を抱かない」って見下しているのかな。でも英語の能力は買っていたってことだよね。

 

息子が家庭教師で稼いだお金が実生活に反映されたのかな。ぱっと見、食堂に外食に行っているシーンしか思いつかない。受験費なら当てているのか貯金なのか、借金返済になのか。

 

娘のサイバー能力かっこいい。タバコの吸い方もかっこいい。

 

どんどん犯行家族が寄生していくのは笑った。

 

母さん、家事能力もともとめっちゃ高いのかな。お父さんの車の能力も。

 

富裕主人が感じる「匂い」。それにもっとも嫌悪感を抱く貧困父。

 

富裕家族がキャンプのため家を1日開けるから、貧困家族が豪邸でドンチャン騒ぎする話。大雨の時点で「いつ帰ってくるんだろう…」

って視聴者の不安を煽る。これでもかっていうくらい引っ張って、来たのはまさかの元家政婦。顔あざだらけでやばい感じ。それからは衝撃の連続で、カオスの状況で家族が帰ってくる。やられたわ。

 

ジャージャーラーメン?めっちゃうまそう。って調べたらそこにも皮肉が…。

 

家庭内男尊女卑。なるほど。

そりゃ家庭教師に依存するか。

 

センサーライトかと思ったら地下で足音聞いてつけてたの怖すぎ。

 

地下室でセックスしてたの?

 

北朝鮮報道のモノマネ、笑っていいのダメなのか。

 

後半の富裕層パーティも怖かったなぁ。

 

貧困父、思いっきり刺しに行きましたね。

 

父は無計画が良いと息子に説く。しかし息子はラストシーンで計画を立てなきゃいけないという皮肉。それしか選択肢はないのか。

 

疲れたのでこの辺で。

「宇宙よりも遠い場所」を観た

女子高生4人が南極大陸を目指す物語。

めちゃくちゃ面白かった。

絵柄も綺麗で、構成も丁寧。キャラも可愛い。キラキラした青春を友情を描いていると思いきや、個人的に生々しい人間らしさも描かれている気がする。1話は素晴らしくて、2話以降の前半はやや失速するも、南極に着いてから物語の重圧さを感じた。ラストも綺麗で意外で素晴らしかった。

 

4人ともキャラがいい。完璧な人がいない。むしろ欠陥が目立つ。そこがまた愛らしくて、パワーを感じる。強いて言うならしらせが好きだけど…みんな好きだ。

 

きまりと親友の別れのシーン。きまりが南極に行くと言い出してから不穏な表情を見せる親友。きまりにとってお姉さんのような幼なじみの親友で、とてもしっかり者。きまりが何か迷うと親友が世話を焼いてくれた。そんな親友は、きまりの世話をすることに自己価値を抱いていたので、いざきまりが自分で「南極へ行く」と決めてから、自分の価値を見出せなくなり、きまりに影で攻撃していた。そんな自分に自己嫌悪を抱いて、きまりの旅立ちの日に「絶交」を切り出すも、きまりはそれを咎めずハグをし前へすすんでいく。これがラストシーンに繋がるのだが…。このシーンがめっちゃ好き。第一部のハイライト。この親友の気持ちすごいわかる。結局どうすれば自分が満たされるのかって待っているだけではなく、自分で主人公のように歩み出すしかない。そんなやり場のない無力感と青春の可能性があふれる素晴らしシーン。

 

タイでのひなたパスポート紛失事件。ひなたはいつも明るいけど、みんなのために自己犠牲に走る傾向がある。そんなひなたを見ているとけっこう苦しい。私はそんなひなたと「自分のためになりふり構わない」しらせとのやりとりが終始好きだ。しらせがこの問題を解決しようと大金を払ったのだが、結局はしらせがひなたのパスポートを持っていたと言うギャグのバランスも良かった。

 

ひなたは友達だと思っていた同級生から裏切られ、人間不信となり退学となった。地元の人たちと南極からテレビ電話で中継するイベントで、その同級生がおそらく南極にいる話題性のためにやってきた。なんでお前らきてんだよ…動揺しその場から逃げ出したひなた。みんなは心配するも平気だも笑顔を作るひなた。しかし外で怒りをぶつけるひなたをしらせは目撃。ひなたは「許せない私が悪いんだよ」と自分を責めるも「なにがあったか教えて。あなたは悪くない」とメッセージを送り続けるしらせ。このエピソードの最後に再び日本と中継するシーンで、ひなたの同級生に対して檄を飛ばすしらせが最高にカッコいい。

「ひなたを傷つけたのにのこのこやってきてんじゃねぇ。ひなたの受けた傷のことを知らないくせに。しかしお前らもこのことを一生引きずって生きていくんだよざまぁみろ。(こんな感じだったような)」

このシーン、なにがいいかって言うとひなたの同級生の姿を一切写していないところだ。視聴者もおそらくその人たちの悔しい顔とか悲しい顔とか見たくないと思う。そのしらせの気持ちに対し、仲間たちはどう思っているのか。そこを削ぎ落としたの本当にすごい。

 

説明不要の最終話。最高です。しらせは南極に着いたけど、いまいち感動を感じていなかった。ずっと感じていた母の死の無実感、これを南極に辿りつけば答えは出ると思っていたしらせ。そんな中、しらせの母が死んだとされるポイントまで進んでいく。そこの基地で発見した母の遺物、ノートパソコン。基地に帰り、仲間が部屋にしらせ1人にしてもらいそれを開くと、母が行方不明になってから送り続けたしらせからのメールが大量に届き始める。しらせのメールは1度も読まれてなかったことを知り、母の死を実感し嗚咽する。部屋の外でその嗚咽を聞いていた仲間たちも同じように悲しんでいる。本当に一緒にここまで旅をしてきて良かったね…。最後は吹っ切れてスッキリした表情のしらせ。仲間の支えと自分の力で親の死を乗り越えた。そして帰りの船のオーロラのシーン。「私たちなんか強くなったよね。という雑になった。」

 

空港から一緒に帰らないというのもいい。私たちはもうつながっている。平仮名一文字でも分かり合える。

 

日本に帰ったことをきまりが親友に報告し「ざまぁみろ」と返信。添付された画像には北極でオーロラを見ている画像。また誰かが自分の足で一歩歩み始めた。

「マイ・ブロークン・マリコ」を読んだ

ガラの悪いOLが営業外回り中に入った定食屋のテレビで、1週間前にも会っていた親友のマリコが薬物で自殺したニュースを目にする。DV父のもとから遺骨を奪い、遺骨とともに海を目指して旅に出る。

 

あっと言う間に読み終わった。読んだというか読まされた。首根っこ掴まれ、地面に押し倒されて、一方的にボコボコにされた。感情的をむき出しにする主人公に暑苦しさは一切なく、その感情の動きに目を見張るしかない。感情は掻き回されるけど、読んだあとはなぜか爽やか。上手く言語化できないし、しなくてもいいと思うけど印象に残ったシーンを思い出して書いていく。

 

DV父の新しい妻が良い人だった。「この人がもう少し早く再婚していればマリコは死ななくてすんだかも」と思う主人公。実際にそうだとしたら本当に救われていたのか。娘が生きている状況だったら父は再婚という選択肢をしていなかったのか。しっかり父を怒る妻。主人公の忘れた靴、マリコの遺言を届ける妻。なんでこの夫妻が繋がったんだろう。それはマリコが死ぬ前?後?どっちから?

 

遺骨を奪われて泣く父。どんな気持ちなんだろう。我が娘を死へ追い込んだことへの後悔と罪の意識か、所有物を奪われたことへの怒りか。愛はもとからあったのか、それとも自分を愛するためのDVの吐口としか考えてなかったのか。マリコが死んだ後それに自覚したのか。

 

主人公はマリコとの思い出を反芻しながら旅に出る。印象的だったのは最初はいい思い出が思い出され、その後に「面倒くさいやつだったなぁ」と思い出す。マリコからの手紙には思い出として楽しいこと。思い出す会話は苦しかったこと。どんどんマリコとの思い出を忘れちまうと苦悩する主人公。

 

自分をとりあえず大切にしろ、と髭男。マリコはそれに対し自分で自分を大切にできなかった人。父、彼氏からの暴力、親友である主人公にはリストカットするところを見せ、「あなたに彼氏ができたら私は死ぬ。私を愛さなくなったら死ぬ。」と告げる。愛を受けることに依存してしまった。負の連鎖。主人公は「なんで一緒に死のうって言ってくれなかったんだ」と置いていかれた思い。

 

ラストシーンのマリコからの手紙には何が書かれていたんだろう。

 

面白かった。もう一回読みたい。

巻末の短編もすごい良かった。

「トゥルーマン・ショー」を観た

普通に育ち、普通に働き、普通に結婚し、普通に暮らした30年間の主人公の人生はずっと全世界に生放送されていた。それは超人気番組で…。

 

面白かった。ブラックユーモアなヒューマン映画。終わりはハッピーになるのかバッドになるのかドキドキしながら観た。こういうの、バッドエンドになる可能性があるから。

 

主人公は少しずつ作られた世界の違和感に気づいていく。きっかけは主人公が乗っていたラジオに番組側の出演者への指示が混線してしまったとき。そのあと死んだはずの父とすれ違ったときに疑念は深まる。さらに過去には明らかに不自然な別れをした恋人がいたことを思い出す。その女性は主人公とのメロドラマを演出するために出演したのだが、やがて主人公に同情してしまい、主人公とこっそり浜辺へ逃げ出し世界の真実を告げたが番組側の死角が登場し強制退場。この巨大なセットを世界を真実と信じてきた主人公はなにがなんだか。そこから日常に違和感を感じていく。同じ位置を通る人や車がいることや、過去の写真が合成っぽかったり…。

 

主人公は、その恋した相手が忘れられず外国にいるとされる島国へ旅にでようとするも、番組側的には不都合だから次々と阻止される。主人公がテレビを見ていたら「地元を愛そう。そしたら幸せになるよ」っていう内容の番組が始まったり、旅行会社にいったら飛行機が雷に打たれて「これはあなたに起こり得る」と書いてあるポスターがあったり、予約が一ヶ月待ちだったり。

車で街を脱出しようとするも、突然住宅街から車が数台に出ていて渋滞が発生したり、まちをなんと出たものの道路には炎の壁が発生。抜けたら原子力発電所から放射能が発生し通行止め。

主人公は不憫だかこのだんだんと大胆になる番組側の妨害がおかしくて笑ってしまう。視聴者はどっかの世界で暮らしている1人の男のリアルな人生を楽しんでいると最初思っていたが、セットの中でリアルを信じる主人公、さらに番組がどのように軌道を修正していくかを込みで楽しんでいる人がいるのかなぁと。ちょっと怖い。

そこで誰かのテラスハウス批評を思い出した。「自分の欲望をコントロールできると考えている入居者の、そのコントロールが崩れる瞬間をひたすら待っているパネラーと私たち視聴者。そんな悪魔のコンテンツ」

 

主人公、これは気が狂うよなぁ。しかし恋人のために偽物の世界を抜け出そうと悪戦苦闘する。そんな彼をテレビの視聴者の共感を得ていく。

 

ラストシーン良かった。偽物の壁に到達した主人公。扉を開ければ外の世界へ。そこへ番組プロデューサーが天の声で「この世界は偽物。でも私はあなたの生活を幸せにする用意がある。だから戻りなさい。」という言葉に、主人公の番組内での定番の掴みあいさつを大袈裟に放ち、ショーが終わったかのようにお辞儀をし、扉の外へ出て行く。今までコントロールされていたが、逆に番組側をコントロールするかのごとくあえて演じて自由になった主人公。(自由になったはず…)世界中の視聴者は感動に包まれる。プロデューサーは落胆?それともこれも演出的には良いと思ってる?

 

観賞後は清々しい気持ちに。でもそれで終わって良いのか、少し不安が残る。

 

追記

最後の警備員の「ほかに番組はやってないか」30年人生を偽物で過ごした人間よりもコンテンツの消費。怖いな。